2017年9月10日日曜日

旦那が死んだ人の話に敏感になる

知り合いの旦那が何歳で死んだんだったかな

という会話に異常に反応する親父

シートベルトのことをサイドブレーキと呼んで、
シートベルトの出ているところが見つけられない親父

少しの傾斜で、足が前に出ない親父

階段で二階にあがるレストランには通えなくなった親父

さっきも小遣いくれたのに忘れて何度でもくれる親父


親父も婆さんも、自分で外出して物を買ってこれないから
お金には意味がないらしい

必要なものを運んでくる外商や行商であり
飯を作って運び
掃除もしてやるんだから
感謝されても仕方ない

よく、同居してない兄弟が、知恵袋で同居の兄弟を悪く言ったり
死別して一人になった親を一人で田舎に住まわせて忘れていて、たまに思い出すみたいなコマーシャルがある

年取って病気して孤独で、どんどんいろんなことができなくなって
不安で、不安を感じるほどの認知力がなくなって

介護しているひとのことを介護離職と馬鹿にしている風潮だけど
労働をお金に換金して、お金でものに交換するから
お金にならないことは意味がないみたいになるけど

時間や労働力をお金に変えられても
命の時間や家族と過ごす時間は、お金では買えない

仕事の変わりをする人はいるけど
あなたの親に寄り添える子供はあなたしかいないと思う

だから私は他人に馬鹿にされても
家族と過ごす残された時間を選ぶ



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