2019年6月3日月曜日

病院にお見舞いに行くと疲れる

病院って病気の人しかいないんだよね
と大人になってから思った

学校は年に数回しか休まないと思うけど
それだけそんなに病気しないってことだね

自分らは年に数回しか医院に行かないけど
医院はいつも一杯で順番待ちだよね


あんまり病気にならない人は
年に1回の健診をすすめられるけど

病院に行かない人って、とことん行かないんだよね


婆さんが自室でひっくり返って
右肩甲骨を骨折したけど
痛み止めの薬だけなんだけど
入院させてもらっている

結局、寝たきりみたいになっちゃうと
面倒見れないんだよね
親父も居るし


昼食後の午後に見舞いに行くわけだが

老人はいろいろと視野が狭くなっているから
正面から話しかけないといけないんだけど

背中を打って痛いという内容の話を
何度も何度も聞く


そして、婆さんの血色や長寿を褒めてやり
昨日は男も話をしてやっていた

婆さんは今の天気の話も好きだ
何度もよく繰り返す
繰り返すことを怒ってもしかたがない
何度も繰り返すしかない


婆さんは男性が好きなので
自分より若い男と話すと、さらに元気がでるようだった

婆さんはしばらくすると
右腕を自発的に動かしていた

婆さんがアップをはじめたらしい

つまりまだまだ自然治癒する能力があるってことだ

婆さんは顔をダニにくわれていたけど
皮膚科でもらった薬は、デイサービスの入浴後に塗ってもらったけど

短期間でかなりきれいに治ったんだよね




病院に見舞いに行くのは
病気の人に、元気をわけてやるためという話もある

年始は神社で、勉強と家族の健康を祈願していたが
家族が見舞うことで
平癒のスピードが増すんじゃないかと思っている

病院を帰るころには
婆さんの元気が増していて

自分はどこか体の芯のようなものが
疲れている

自分は病気ではないので
飯を食ったり、風呂に入ったり、寝れば回復するが

病人はやはり安静にして
まわりに元気をわけてもらうと
治るんじゃないかな

もちろん治療は必要だけど


あんまり病気しない人って
病気しないように気を配っているというのもあるけど
自然治癒力が高い人というイメージがある

そして
自然治癒力が高くなければ
長生きはできない

疲れている時にきく方法があって
コップにくんだ水に愛をこめてもらうというもの
自分も愛をこめて飲む

それを回し飲みしながら
愛をこめていくと
水がまろやかに感じる

水自体が変質したかはさておき
水がまろやかに感じるのだ


だから、たのしい仲間と
抹茶や酒を飲みかわすと
元気が出るだろう





テレビは常に事件を探していて
あんまり悲惨なものだと疲れてしまい
みたくなくなる

事件を知らされると
花を植えればよかったのにとか
草刈りをして役に立てばよかったのにとか思う

花はいい匂いがするものばかりだし
好きな色や匂いのものを植えたりするのはいいことだと思う

それに、花を見たひとが
いい気分になって

犯罪を犯す気が薄まると思う

ぼろ屋でも
花が植わっていると素敵に見えるものだ

今は、インテリアの写真で見ていいな素敵だなとか
ほしいなぁと思わせるものが何だったのかを考えて
写真を見るようにしている

そして、
新築マンションや戸建て住宅が欲しかったわけではなく
この部分が素敵だったんだなと
できる範囲で取り入れるとよいと思っている

無印良品でビーズクッションの大きい奴を
そのまま家に持って帰っても
無印良品にはならないみたいなものだ

そばにあった小さい丸テーブルや
植物が良かったりする場合もある

もしくはリラックスできる音楽


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