2019年6月25日火曜日

水かけられて勉強するやつはいない

勉強をさせようと、暴力を振るっていて
子供を死に至らしめたというニュースがあった


他にも40代親が頭が良くて、子供に受験勉強をさせてみたら
思ったより出来なくて
エスカレートしていったという話もテレビで観させられた


今みたいにテレビが薄くて安くなかった時代は
テレビなんてそんなに観なかった




受験戦争世代だと
勉強ができないと
人生終わった感があるんだけども

価値観が変わってきて
別に勉強ができなくても
お金が稼げたらいいんじゃない感のほうが
強くなってきた

勉強できても
ニートで殺されたら意味ない




まぁ40代親からすれば
勉強ごときでつまづいて
この先の人生どうするのってことなんだろうけど

勉強なんて評価されないとしないんだよ

模試は結果が悪くて水をかけられるものじゃなくて
結果がよくて、褒められて、褒美がでないと何もおもしろくないわけ




自分は、塾は早く行きたくて
小学5年生まで待てなくて
4年生のクラスをつくってもらって行ったような記憶があるが

とにかくビンビンにクーラーの入った部屋で勉強するのがすきで
このために勉強しているというほど
クーラーが好きだった

小学生なのでなんにも考えてなくて
公立学校の小6で当たった担任があまりに理不尽で
姉も公立中学で教師からいじめにあって、私学に転校したこともあったし

自分は、3校受けて1校落ちて(模試は判定Aでも落ちる)1校は特進に落ちて
結局行ったのは
テスト受けに行ったときに
校庭に鉄棒がなくて、グラウンドがせまくて良いと感じた女子校だった
そして、ここは、昼休みにグラウンドで遊ぶ奴がいないという
なかなかインドア向きな学校だった


高校に通っていた長女が、
ぶらぶら夕方5時には帰ってきて楽そうだと感じていた



次女はバスでもうちょっと遠い私立高校に通っていて

宿題を忘れたら、職員室で1時間正座させられて
体重が軽かったので、1時間後しびれずに立ち上がったら
もう1時間正座させられたとか

親の友達の息子は
竹刀で叩かれて、竹刀が折れた
などと聞いていたし

制服が前、後ろを横のヒモでつないでいるもので
体の厚みがもろわかりなので、ありえなかった




大人になってから、接客で教師グループが来ると
最悪ですぐに分かった

そもそも、学校の教師というのは
教職をとって、社会に出ずに教師になるので
学校内ニートみたいなものなのだ

社会経験がなくて、学校で威張っているので
客としても大抵威張ってくる


自分は、教職はとらなかったんだけど
なぜなら、学校の教師にならなければ必要ない資格で
午後も夜9時まで授業を受けなければならなかったから

でも、教職の授業をとらないと
大学2年くらいで、必修以外の単位をとってしまって
大学3年から学校が週2日くらいしかなくて暇だった




勉強に関していえば
必要ないのに、結構やってしまって
そして、思ったよりできなかったと思う

東大の価値って
その年齢で、そこまで到達できたということで
その先の伸びしろが重要なんだと思う

時間かけて、高齢でそこまで到達しても仕方がないということ
だから、浪人してそこまで到達してもらうよりも
学校でこの程度できていれば入学を認めましょうという
AO入試などが出来たと記憶している
社会人入試なども出来、
大人になっても勉強することも許されてきた

というのも、若いときに仕事やスポーツで活躍してしまい
学校に行くひまがなかった人も出てきて
大人になってから勉強してもよいよ、という風潮もでてきた


仕事すると
たいていがルーチンワークなこともあり
伸びしろが全くない人間もいる
伸びしろというのは
新しいものを習得する余地がないということ

まぁべつに
収入が増えるわけでもなかったら
自己研鑽なんて必要ないと思うけど

得意なことを伸ばすというのは
自分自身の好奇心や評価を伸ばすものだから
やってみるのはいいんじゃないのとは思う


子供のころは暇だから
夏クーラーが効いてるから
今考えるとバカみたいに勉強はした

中高一貫校に行ったのに
高校入試もするかもしれないと思い
秋の終わりくらいまでは、受験生よりも勉強していた
まぁでも、いよいよ受験シーズンとなって
受験はしないので、塾もやめた


高校も、学校の勉強に追われながらも
まぁまぁ勉強して
夏の終わりに、やっぱりあかんなこれは浪人だなと思い
現役で受けられるとこ受けてみて
秋には受かったから、冬は勉強しないで済んだ

冬は机が寒いし
ストーブ炊いても、足元が寒いんで
あんまり勉強もしたくない

生きてるのがやっとという感じ

40才になると
なんであんなに勉強したのか
なんであんなに勉強に追われていたのかも理解不能だ

私は、夏に蝉取りするより
クーラーの効いた室内で勉強するほうが好きだったからいいけど

親に物を投げつけられたり
包丁で脅されたり
刺されたりして勉強したいひとなんて

娯楽の多い時代にありえないなぁと思う



どっちかといえば
勉強したら、おいしい外食をするとか
おもちゃや本が買ってもらえるとか
小遣いがもらえるととかだったら

ほっといても勉強すると思う

子供時代に
いくつ成功経験ができて
ポジティブに自己肯定して生きていけるかが重要なのに


教師が教室で喫煙したり竹刀を持ち込む時代に育った親が
(木刀でないだけましというやつ)
子供にシャワーで冷水をかけて思い通りに教育しようとするんだろう
と思う一方で

しかし
我々はそんな暴力的な教育しか受けてこなかったので
そういう教育法で子育てしてしまう人もいるのかもしれないとも思うのだった


昭和の公立校は学校崩壊もしていたし
義務教育なので
生きていくだけでも大変だった

教師が率先していじめをするので
子供も真似してするか
子供が同情して全くそのことにはふれてこないかだった

おもしろがっていじめをしていたのは
公立校の教師だった
パワハラMAX

まぁ、暴力的ないじめと
精神的暴力的いじめとどっちがいいって感じか

両方にあいたくなければ
勉強して、まともな人がいるとこに脱出するしかないって感じだったな

勉強すれば
そういう理不尽な暴力からは脱出できる時代でもあった

勉強さえしていれば
いじめにあいにくいという感じかな



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