2019年8月29日木曜日

楽しみを先延ばしできない時代

京都の放火事件の犠牲者が公開され
1回は自室で見たが、
2階の居間で2回も見ていられない気分になった

親父はデイケアのテレビで見たか見ないかわからないが
犠牲者の名前が公開されていると
今にも泣き出しそうな顔をしていた

それで、テレビは変えた


交通事故やガンなどで
年金受給年齢よりも前に亡くなる人もいる



それでも学生時代なら
楽しみを我慢し、食事の時間まで削って勉強できたかもしれないが

京都の放火事件や、交通事故のニュースを見ると
楽しみを先延ばしにしてはいけないという気持ちになる

人生は有限だからだ



よく、勉強しなかったから、人生苦労していると思う親世代がいるようで
自分が得意でない勉強を、子供にさせたがり
やはり思うような成果が出ず
虐待につながるケースもあるようだが

私が、無駄に勉強してみて思ったのが
得意、不得意があるということだ
不得意なことは、得意なこと以上に時間をかけても
あまり成果はでなかった

得意なことは、たいして苦労もせずに
そして、時間をかけてもかけなくても成果がでる

まぁ他人の目からみれば
オールマイティーな方もいるわけだが

不得意なことは5段階評価の3~4に収まる程度にし
得意なことを見つけたらどんどんやった方がいいと思う

成果にかかわらず、全力までやったことに関しては
葛藤が残らないので
次に進める

だいたい、人生は長くは覚えておけず
30代は10代の記憶が思い出せるが

40代は10代の記憶は薄れていくし
20代の記憶もあいまいになってくる

高齢になればなるほど、鮮明な記憶はなくなっていく
1日覚えておけないとか、さっきのことも覚えていなければ
何を食べたかも覚えてない

それでも失われない、長期記憶もあり
それをベースに新しい記憶を積んでいけるので
とくに、好きなことは覚えていられるので
好きなことはどんどんやった方がいいと思う


新しいことをやってみて
どんどん得意になっていくことは楽しい

興味あることは、得意か好きか試してみる価値はある


人間を勤勉にさせるのは
生かさず殺さず、なんとか暮らせる程度の日銭しか所有させず
所有することに対して税金がかかる状態にすることだが

多少の抜け穴的な希望は必要で
宝くじや、利権の獲得など
そして、評価表彰されることなどがある


そして、世界の数人が
所有し、支配していることを知らないことである


表に出て、顔を出して代表しているような人たちは
中小企業の代表のようなもので
働く背中を従業員に見せ
勤労意欲を高める

本当に苦労していると思う

しかし、何か目に見えない仕組みのようなもので
我々は縛られており

ただし、享受できることで満足し
納得しているだけだ


犯罪者は法律的にも、倫理的にも悪だが
犯罪心理を解明するための研究対象というだけでなく

規則外の存在として
税金を使っても存在しなければならないのかもしれないと
思うようになった

文明的に優れており
人間的にも優れたリーダーのいる国が
亡国してきた歴史を見ても
戦闘員というものは必要なのだろう

そういう人達は
普通の人たちがするのが苦しい
屠殺場や家屋の解体などで貢献できる

リミッターのはずれた人たち以外は
きれいな街並みがあればいい

地域の清掃活動などで貢献できる

好きなことでもあり
花壇に季節の花や、いいにおいのする宿根草を植えるようにしている

今回、エレベーターの水漏れに対する外構工事のため
帰宅すると、3年は育っていたであろう宿根草が抜かれていた

今年植えただけの短期間しか育成しない苗は残っており
工事業者は得意げだった

ちょっと避けておいてくれれば
工事後、植え戻すこともできるのに

跡形もなく捨てられていた

こういうことがあるので
工事業者が入る状態というのは
あまりよろしいものではない

庭もタイルなど敷きたいと考えているが
前回、植木屋が伐採した木材が1年近く放置されている
支払いを先にしてしまうと
後で回収しますと言ったきり、しないのだ

また、この木材が始末される前に
いろいろやっても
タイルを割ったり
花壇に定着した植物を抜いたりする

とてもいい匂いがして、花が咲いていても
ただ物体として抜いてしまう


こういうとき
なぜ義務教育の国語の教科書に
魯迅の帰郷が載っているのかを考えさせられる

電子書籍で読み返してみようかな





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