2015年11月19日木曜日

デクスター ファイナルシーズン 感想

デクスターはフィクション作品ですが、「マイアミ治安悪すぎ」と思う内容でした

必殺仕事人のデクスターですが、必殺仕事人のように仕事ではないため、悪人の始末も無償。金銭の受け渡しもなく、殺し屋ではありません

殺人の衝動を、「殺人者を殺人する」という、いわば共食いで満たしています

デクスターがマイアミにいても、マイアミを去っても、殺人はなくなりません



 デクスターはドラマの中で、たくさんの殺人を犯しますが、シーズンが進むにつれ、デクスターが殺さなかったことで、殺人者に殺される一般市民が出てきます

また、デクスター自身、自分の身を守るための殺人も犯します

シーズン2でのジェームス・ドークス巡査部長の死は、結局シーズン7まで物語に影をおとしていきます


デクスターの正体を知ってしまい、兄への愛情との葛藤で暴走するデボラ。
デクスターとデボラの関係修復をした、精神神経科医エブリン・ボーゲル。ボーゲルが、「サイコパス」とデクスター自身を理論的に説明することで、いままでデクスターを見ていたデクスター寄りの視聴者からすると、息苦しさを感じます。デクスターが感じている、恋人への愛、妹への愛、息子への愛を「サイコパスに感情はない」、「あなたに感情はない」と否定するのです。

精神病患者の施設から逃げ出し、自力で生き延びたボーゲルの息子ダニエル。
エブリンは、他人であるデクスターやそのほかの患者には、客観的に研究材料として接し、その中でデクスターのように手ごたえのあった患者もいるようですが、息子ダニエルと再会しても「もっといい施設に入れる」と、精神科病棟に入れることで、殺人の罪から逃れさせようとします。

エブリンは、サイコパスのことを「共感性がない」「共感性が乏しい」といいます。
結局、エブリンの元患者は、殺人者ばかりなので、その傾向にある子供を見つけることが得意なのは確かでしょう。ただし、「治療」となると、全く成果があがっていない。「施設に閉じ込める」しかできないのです。

デクスターは、「ハンナとハリソンとアルゼンチンで暮らす」という未来への希望を得たことで、殺人衝動が薄まっているのを感じています。ハンナはありのままのデクスターを受け入れてくれる女性で、ハンナ自身、身を守るための殺人を犯してきました。ただし、勧善懲悪のドラマはそれを許さなかった。デクスターは、偽りで始めた生活に、愛や本物を感じ始めていた。しかし、最後は「偽りの生活」をすべて捨てることで自らを罰するのです。

原作がどこまで書かれているのかにもよりますが、 多くの視聴者には不評のファイナルシーズンだと思います。

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