2016年6月15日水曜日

アメリカから銃をなくすにはどうすればいいのか(考察)

<米乱射>兵器改造銃使用 入手容易、事件のたび売り上げ増

毎日新聞 6月14日(火)11時16分配信

【ワシントン西田進一郎】米南部フロリダ州で起きた銃乱射事件で使用された銃の一つは、米軍の自動小銃M16を民間向けに改良した「AR15」だった。通常30発の弾丸を装填(そうてん)可能な殺傷能力の高い銃で、過去の乱射事件でもたびたび使われた。しかし、全米どこでも合法的に購入できる銃で、米メディアによるとオマル・マティーン容疑者(29)も事件数日前に、同州で他の拳銃とともに購入していたという。

M16は、ベトナム戦争以降、米軍での使用が定着しており、反動の少なさや軽さ、命中精度の高さが特徴だ。引き金を引き続ければ連射できるが、民間向けのAR15は半自動小銃で、1発ごとに引き金を引く必要がある。狩猟や自宅の警備などを目的に市販されており、インターネット上では1000ドル(約10万6000円)以下で販売されている。

 しかし、AR15は、2012年7月に西部コロラド州の映画館で12人▽同年12月に東部コネティカット州サンディフックの小学校で児童ら26人▽昨年12月に西部カリフォルニア州サンバーナディーノで14人--が犠牲になった乱射事件などで使用された。しかも、事件のたびに「自衛のため」や「規制強化で入手できなくなる懸念」から、売り上げが伸びるとされる。

 米国ではクリントン政権時代の1994年、AR15など自動小銃を「対人殺傷用銃器」とし、製造や販売、所有などを禁じる法案が10年間の時限立法として成立した。しかし、全米ライフル協会(NRA)の強力なロビー活動などで04年に失効。乱射事件のたびに同様の法案を望む声が上がるが、連邦議会で法整備の機運は高まらないままだ。



アメリカ移民2世のイスラム教徒が、フロリダの同性愛者を自動小銃で大量虐殺する事件が起こった。アメリカは同性の婚姻が2015年6月に最高裁で認められた。
報道では、アメリカは自由の国なので自衛のために拳銃を持つ権利があると主張する市民がとりあげられる。
一方で拳銃のない日本では、銃よりもゴキブリのほうが恐ろしいくらいで、武器といえばスタンガンか包丁やキャンプ用のナイフ程度、紐類による絞殺、催涙スプレーくらいで、自衛したい場合は体術を学ぶ。空手・柔道・剣道などが一般的だろうか。
侍がいたころでも、高価な武器である刀を持つことが許されたのは武士階級であって、農民は鍬(くわ)など農工具しか持たなかった。有名な武器取り締まりとしては、豊臣秀吉の刀狩り(wiki)と、第二次世界大戦敗戦後の昭和の銃刀法(wiki)くらいだ。結局のところ、戦勝者が敗者から武器を取り上げる方法で国民の平和は作られてきた。そして警察や軍などと、対立する市民グループというのはできるもので、市民の刃が市民へ向かうことは少ない。刀狩の2条にある、取り上げた武器を溶かして、宗教施設を建てるというのは良い方法だ。日本のように、八百万の神(やおよろずのかみ)を認めない宗教がベースの国では難しいかもしれないが、自由の国だというのもかまわないが、国教はもつべきではないだろうか。
フランスのキャビンアテンダントが、スカーフを頭に巻くことが法律で定められている国に上陸する際に、スカーフを頭に巻きたくないという騒動が起きているというニュースをみた。女性の権利が認められている国からすると、女性が体を布で覆わなければならないことに違和感を感じるのも致し方ない。しかし、入国する際にはその国の法律に従うべきだと思う。従わない場合は飛行機の中が大使館のようにフランス領である必要がある。

私の住んでいる町でも、イスラム教徒の留学生や、マスジド教会があるが、女性がスカーフで頭を覆っているのを見かけると違和感を感じる。日本では、スカーフをかぶってはいけないという法律はないが、日焼けの面でかぶる必要はないし、顔を隠すということは、なにか悪いことをするのではないかと思ってしまうのだ。中国大陸から風で飛んでくるPM2.5による大気汚染の影響で、外出の際マスクを着用する人は増えたが、顔を隠すというのは、なにか犯罪を犯す人なんじゃないかとか、顔が不細工なんじゃないかとかネガティブな意味でとらえがちだ。それに接客業などでは、医療関係や厨房を除き、マスクは着用できない。マスクは唾液が食品に混入するのを防ぐ目的や飛沫感染を防ぐためのもの、鼻から細菌などを吸うことを防ぐ道具だという認識だ。だからマスクを口だけ覆って、息苦しいから鼻を出している人を見かけると、何のためにマスクしているの?となる
鼻からの感染を防ぐ道具だという認識があるからだ。

それに、ハーラルという聖別された食べ物しか食べられないということで、観光などで受け入れる際も、特別な食材を使うことが求められたり、旅先でも礼拝所が必要らしい。豚肉など食べられない食材があるのは、暑い国では腐敗が進みやすく食べる習慣がないのだろうという想像や、普段のアレルギー対応からも可能だが、私たちが普段食べている食材は、聖別していないので食べられないなどの理由は、我々が普段食べているものが不浄と感じられているのだろうと不快だと感じる。そのような理由からか、イスラム圏の留学生をレストランで見かけることはなく、ハーラルを使用しているインド料理の店がある。インドにはイスラム教徒も多く、ハーラル食品の扱いに慣れているインド人が、日本でレストランを出店するケースもあるようだ。日本では日本風のカレーライスを週一回程度食べる習慣の家庭も多く、いままでインド人が日本でレストラン経営を誠実にしてきたので、インド料理店への理解がある。

アメリカ大陸から銃をなくすには、地形的に銃の流入が少ないと思われる地区に、銃や刃渡り何センチ以下刃物の刃物の持ち込みを禁止する地区を作ればいいと思う。そしてその地区に持ち込んだ場合の罰則を厳しくする。学校の入学は、入試を行い、家族と面接をする。特定の宗教を信仰する人は、宗教法人で学校を建て、そこに通学する。
同性愛は、成人してから認めるか、それ専用の学校を建てる必要があると思う。もしくは、同性愛専用の地区があってもかまわないのではないか。移民を認め、民族が多様であるということは、それだけ慣習も多様である。宗教上タブーであることも多い同性愛を認めるということは、対立を生むことだ。それともアメリカは全土で同性愛を受け入れる準備がすでにできているのだろうか。金銭的な成功や今の環境からの自由や夢を求めてアメリカに移住しても、うまくいかなかった人々もいるだろう。大きな成功の影には、多くの人の失敗がある。貿易のための相互理解のための留学や、語学研修はよいと思うが、やはり自分の生まれた国をよくする努力や、自分の国を守ることが重要だと思う。とくに自分が大切にしたい慣習があるなら、なおさらだ。




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