2016年5月24日火曜日

ドラクエライブスペクタクルツアーの特番を観て

<公式サイト>ドラゴンクエストライブスペクタクルツアー(リンク)

CMみて最初の印象は「7500円も取るんだ」「たけぇな」だった

TV特番観て、4人のなかから勇者が1人選ばれて、一番タテへたそうだけどなと思ったが舞台馴れしてるんかなと思った。個人的には4人目がイケメンだったと思う。衣装つけると、選ばれた人もよかった。

舞台装置の依頼会社がオリンピック開幕式経験企業で、
オリンピックでなくても、そういうところに演出してもらえば一緒なんだなと思った

モンスターの衣装も、キャラクターの衣装も、老舗やベテランで、このあたりで
値段に納得した

音楽の紹介をみた。ゲーム音楽がオーケストラでやることもすごい時代があった
TVに紹介するときに、DQ3のドット絵がでてきて、こんなドット絵でも
すごくたのしんでやっていたときを思い出した
やっぱりラミアの曲は泣ける
あんなハゲみたいな肌色のドット絵なんだけどな、やっぱり曲がよかったんだろう

ドラクエは3から買ったが、やはり4や天空の花嫁はくりかえしやった
4の感じはいまのオンラインゲームに近いかもしれない。主役の盟友というかんじか
天空の花嫁は、ビアンカを選んでも、フローラを選んでも心に残ってしまう
たったレベル20くらいでこの選択を迫られるのに子供ながら驚いたものだ
ふつうの流れだと幼馴染のビアンカを選ぶ
大人の事情や、大人になってから人を好きになれば、フローラだと思う 運命的な出会いというやつ。ビアンカは幼馴染との再会か
フローラは一人でもパパンがいるので大丈夫だと思う おそらく美人だし勇者以外にもいい男はいるだろう
だけどあのさびれた村で埋もれていくビアンカを考えるとさみしさが募る



イベントの最後に高校生のマーチングバンド7校が出演し、演奏するらしい(ネタバレ?)

コメンテーターのクラタマが、いまこんなに汚れちまって昔は純粋だったとかいって泣き出したが、千秋が、「まだ見てもないのに」といったが、倉田真由美の気持ちはなんか「わかる」と思った。ただし昔の自分を美化する気持ちは全くわかないので、純粋とは思わない

観たとか観ないとかそういう問題じゃなくて、気持ちがあふれるということだ


ちょうど今のアラフォー世代というのは
人生思い通りにいかなかった人たちのほうが多いと思う

ちょうど受験戦争なんていったころで、大学に受かったら受かったで無気力なんて言われたころだ
そして、バブルが崩壊して、いろいろしたかったことなんか我慢して勉強だけして大人になって、勇者になれなかった人たちばかりだ

ドラクエは、ゲームが進んでいくにつれて、新しい街に行き、フィールドで稼ぎながら武器防具をそろえ、ダンジョンに行き、ダンジョンボスを倒す
ダンジョンボスを倒せば、ストーリーが進みいけるエリアがふえる
そして、船や勇者がのれる鳥や竜、気球なんかを手に入れて
世界のどこにでも行けるようになる

アラフォーになって思うのは、どちらかというと私たちは街で待っている方の人間になったということだ
10代や20代のころよりも、自由に使えるお金は増えたかもしれないが、勇者のような生活とは程遠いところに足をつけて生活している
どこか遠くに理想の世界がないことも知っている。そのなかで折り合いをつけて、楽しみを見つけてなんとかやっている状態だ


あんなドット絵だったものが、30周年を迎えて、大きなイベントをするということに感動するし、そういう感動を与えてくれるものはお金をだして支えなければならないんだと思う
実際は会場に足を運ぶことは仕事でできないので、何か商品を買うか課金するかして、支えていきたいと思う


(脱線)
楽しみを奪う存在になった嫁と離婚する人が多いという
とにかく生活するために働いているので、楽しみの部分は聖域なのだ
それもわからないで、



旦那の趣味のものを捨ててしまい、離婚したケースはネットではよく見かける
我慢強いアラフォーにとって、趣味のものというのは心の支えで、それを捨てられてしまうことは、アイデンティティーを捨てさせられることと同じだと思う
そういう気持ちもわからないで、育てたゲームキャラをデリートしたり、趣味のものを捨てたり、リサイクルショップに無断で持って行ったり、オークションに売ってしまったりするような女は、捨てられて当然だと思う

かまってちゃんが嫌われるのは、とにかく日常と仕事で疲れているおじさん(おばさん)たちにとって、お金はないが時間だけあるのか、つまらないことや気分でグチグチといってきて、自分の貴重な時間を侵害され、楽しむ気分を阻害されることだと思う

また10代や20代のときと感じ方が違ってきたと思うのは、子供のころTVで見ていた愛人という存在だ。月々いくら支払って、若い女や自分好みの女を囲うものだが、
若いころは、そんなに支払う価値あるの?と思ったものだがある程度お金に自由がきくなら、そのお金の力をかりて、自分に合わせてくれるほうがいいというのもあると思う
結婚はパートナーでともに戦う存在であって、厳しいが、愛人契約なら、金の切れ目が縁の切れ目ともいって、自由が利くんだと思う
また、仕事や制約によってした結婚生活の埋め合わせであったり、ほかの人生の疑似体験であったりするだろう。ペットは世話をしなければならないが、人間はお金で済むというのもあるかもしれない。される側は、気持ちとの折り合いをつけるために、お金であったり、自由であったりが必要になるかもしれないが、めんどくさいものを面倒みてもらっていると割り切れるものかもしれない。
まぁそのくらい、大人になって、自分で稼いで暮らしていくというのは大変だ














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