2015年12月10日木曜日

強迫性神経症によるひきこもり40歳女性、高齢の父親が電気コードで絞殺(結果)懲役3年・執行猶予5年

精神障害の長女を殺害した父親に長男「よく我慢してきた」

週刊女性PRIME 12月8日(火)11時0分配信 

 今年2月14日、和歌山市内の自宅で精神障害のあった長女(41)を殺害し、7月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受けた村井健男さん(81)。

 長女は20歳ころから引きこもるようになり、家庭内暴力を繰り返すように。そして2001年、長女は自己中心的で暴言や暴力行為など他罰的症状を伴う「強迫性神経症」と診断された。

 入院させられた娘は日記に《生きていることがつらい。誰も私の心をわかってくれない。弱い所をみせられるのは家族だけです》と書いた。

 退院後はまた暴れだし、入退院を繰り返した。明確に精神病とされないケースがいちばん難しい。長女は自分の「異常性」を認識しており、病気を治そうと専門書を何冊も買い込んでいたという。

「暴力から逃れるため車で寝泊まりしました。ワンルームの部屋を借りて妻を避難させたこともあります。長女は車に飛び込もうとしたり、部屋で首つり自殺を図りました。娘の首に巻きついていたベルトを必死にはずしました」

 家じゅうの壁は穴だらけ。長女は「暴力が悪いのはわかっている。朝、目が覚めるのが怖い」と言った。

 暴力はさらにエスカレートした。包丁の先を丸くし、危ないものは隠した。間質性肺炎を患う妻は怖がって布団から出られなくなった。長女にひとり暮らしをさせてもアパートを壊して帰ってくる。村井さんは「ついに終着が来ました」と、ひと息おいた。

「その夜、長女は“早く新しい部屋を借りろ!”と布団にくるまる妻を激しく叩きました。私は、妻のこたつの修繕のために買った電気コードで後ろから首を絞めました」

 心の中で「ごめん」と叫んだ。小柄な長女の背中が丸くなり動きが止まる。妻が息子に連絡し、重体で病院に運ばれた長女は翌日、死亡した。

「駆けつけた長男は最初“世間に顔向けできない”となじりましたが、すぐ“親父、よく我慢してきたな”と言い、みんな泣きました。拘置所で同房だった男に“殺人は許せん”と言われてつらかった」

 長女は優しい子だった。

「音楽が好きで私の耳にイヤホンを差し“いっぺん聴いてみて。きれいな曲やろ”とリチャード・クレーマン(クレイダーマン)のピアノ曲を聴かせてくれました」

 石油会社を定年まで勤め上げた村井さんに弁当を作ってくれた。「お父ちゃん、肩たたいてやろうか」といたわってくれることもあった。淡々と話す村井さんが嗚咽したのは次の言葉を発した時だ。

「娘は妻に似て、色白のきれいな肌でした。事件直前、“お母ちゃんからもらった肌を大事にせんとあかん”と娘のほおを撫でました。その感触は今も残っています」

 落ち着いていた娘が豹変し、事件に至ったのは、その数時間後だった。

「検察官は妻に“いちばん苦しんでいたのは娘さん自身じゃないですか”と言った。やれることはやったと思っていましたが、足りなかったと感じました。天国 で娘が“お父ちゃん、私、生きたかった”と言っているんです。いちばん苦しんでいたのは自分やない。殺してしまった娘やった。何が足りなかったのか」

 村井さんは、こう話した。

「残された人生を同じような悩みを持つ家族のために捧げたい」

<取材・文/ジャーナリスト・粟野仁雄> ヤフーニュース




和歌山長女殺害事件「精神障害と闘う家族の苦しみ知って」

週刊女性PRIME 12月8日(火)5時0分配信

村井健男さん(81)は今年2月14日、和歌山市内の自宅で精神障害のあった長女(41)を殺害し、7月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受けた。

「殺人者の私ですが、恥を忍んで出てきました」

 演壇で村井さんはそう切り出した。家族は約20年、長女の暴力を受けてきた。高校卒業後、職を転々とするうちに引きこもり、家族に暴力をふるい始めた。

 近年は病床の妻(75)に暴力をふるうことが続き、「自分が死んだら妻はどうなるのか」と思い悩んだ末の犯行だった。

 和歌山地裁は「入院や投薬での改善も望めず、殺害を回避する行為は期待できなかった」と情状判決。法廷で号泣する村井さんに裁判員らも目を赤くした。

 精神障害と闘う本人と家族の苦しみを知ってほしい……。11月28日、同市内で開かれた講演会『求め続けた希望の光』で苦悩を打ち明けた。

「長女はおっとりした性格でしたが周囲にはなまけ者と映ったようです。小学3年生の時、給食を食べるのが遅くパンを残したことでいじめられました。“担任の女の先生からパンを口に押し込まれた”と言うんです。長女は後年、“それが自分の転機になった”と言っていました」

 ふたりの兄と年の離れた3人きょうだいの末っ子。村井さんが40歳のときに生まれた待望の女の子だ。小・中学といじめられた長女は、高校卒業後、就職して6社を渡り歩いた。何をするにもスピードが遅く、自分から辞めたり、会社に辞めさせられたり。

「20歳のころから家に引きこもり、気に入らんことがあると窓ガラスを割ったり、私や妻を蹴るようになりました。習っていたころに買ってあげたグランドピ アノも壊してしまいました。隣の家や道路に食器やケチャップを投げつけました。妻が病床に伏してからは、長女に言われるまま食べ物を買ってきましたが、気 に入らないと暴れます。私は真夜中でも肉や魚を探しに出かけました」

 常に暴力的だったわけではない。ただ、落ち着いているときと、暴れ始めたときのギャップは激しかった。警察に助けを求めると、「事件にならないと動けない」と突き放された。

 保健所の職員は、まともに応対する娘と接して「大丈夫ですよ」と帰っていった。病院を頼ると「本人を連れて来てください」と言われた。村井さんは、
「娘本人が病院に行ってくれるなら苦労はしません」と振り返る。

 2001年、長女は隣家にハサミや包丁を投げつけた。警察が長女を保護し、病院の精神科で診察を受けさせた。自己中心的で暴言や暴力行為など他罰的症状を伴う「強迫性神経症」と診断された。

<取材・文/ジャーナリスト・粟野仁雄> ヤフーニュース






(まとめ)

 「長女はおっとりした性格でしたが周囲にはなまけ者と映ったようです。
小学3年生の時、給食を食べるのが遅くパンを残したことでいじめられました
“担任の女の先生からパンを口に押し込まれた”と言うんです。
長女は後年、“それが自分の転機になった”と言っていました」

小・中学といじめられた長女は、高校卒業後、就職して6社を渡り歩いた。
何をするにもスピードが遅く、自分から辞めたり、会社に辞めさせられたり。」


警察⇒民事不介入  保健所⇒落ち着いているときに来訪 病院⇒本人が通院しない 

2001年隣家にハサミ 包丁を投げつける⇒警察が介入⇒精神科を受診

「強迫性神経症」


教えてgoo 
強迫性障害。助けて下さい。死ぬほど辛いです…。質問日時:2011/11/10 21:15 回答数:10件



退院後暴れだし、入退院を繰り返す

「長女は自分の「異常性」を認識しており、病気を治そうと専門書を何冊も買い込んでいた」

家族への暴力が増す(DV)

「暴力から逃れるため車で寝泊まりしました。
ワンルームの部屋を借りて妻を避難させたこともあります。

長女は車に飛び込もうとしたり、部屋で首つり自殺を図りました。 
娘の首に巻きついていたベルトを必死にはずしました」ここが放置だと事件は発生しなかった

家じゅうの壁は穴だらけ。
長女は「暴力が悪いのはわかっている。朝、目が覚めるのが怖い」と言った。


間質性肺炎を患う妻は怖がって布団から出られなくなった。
長女にひとり暮らしをさせてもアパートを壊して帰ってくる。


「その夜、長女は“早く新しい部屋を借りろ!”と布団にくるまる妻を激しく叩きました。私は、妻のこたつの修繕のために買った電気コードで後ろから首を絞めました

 妻が息子に連絡

重体で病院に運ばれた長女は翌日、死亡

 懲役3年・執行猶予5年



死刑=絞殺刑  父親による殺害は、パワーがあることもあり、コタツコードが多用されます




同じく和歌山県の殺人事件

乳児の首をしめ殺人未遂 母親逮捕

  • 2015-12-05(土) 20:11
今日、昼過ぎ、田辺市の民家で生後6ヵ月の自分の長男の首を電気コードで締め付けて殺害しようとした女が、殺人未遂の容疑で警察に逮捕されました。
長男は病院に運ばれましたが意識不明の重体になっています。

逮捕されたのは、田辺市下万呂にすむ22歳の女で、今日、午後0時30分ころ自宅の居間で生後6ヵ月の長男の首を電気こたつの電気コードで締めて殺そうとした殺人未遂の疑いです。

女は、子どもの首を絞めた直後に消防に通報したため救急出動し、子どもをドクターヘリで和歌山市の病院に運びましたが意識不明の重体になっています。

女は夫と子どもの3人暮らしで、犯行同時は夫が外出していました。
田辺警察署によりますと、女は育児に関して田辺市役所の相談窓口に相談したことがあり、精神疾患の疑いがあるということです。
警察の調べに対して女は、「子どもが泣き止まなかったので殺そうと思った」と容疑を認めているそうです。
 


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