2015年12月31日木曜日

世田谷一家殺人事件

世田谷一家殺人事件ウィキペディア



12月30日、今日「世田谷一家惨殺事件」が起こった! 韓国は犯人を引き渡せ!なでしこりん(外部リンク)






「世田谷一家惨殺事件」
ついに割り出された実行犯は「31歳の韓国人」だった!
(週刊新潮1月2・9新年特大号)


 韓国の首都・ソウル市の鍾路区…。このソウル市の中心部に、大阪府警の特命捜査官が韓国国家情報院(旧安企部)の通訳を伴なって現れたのは、11月下旬 のことである。鍾路区は、大企業や銀行などが入った巨大ビルが建ち並ぷと共に、李氏朝鮮時代の遺構が点在する首都を代表するエリア。

 しかし、その鐘閣駅南側には、メインストリートから1本、2本と路地を入っていくと、昔ながらの木賃宿やアパート、安酒場がひしめいている。その一角で大阪府警の捜査官は、ある韓国人男性に、
「Zがいなくなったのは、いつだ」
「おまえはZとどんな付き合いをしているんだ」
「なぜ日雇いの仕事しかしていなかったZが、日本に行くカネがあったんだ」
という厳しい質問をしていった。 この韓国人男性は、捜査当局が暗号で”エス・Z”と呼ぷ31歳の男を、自分のアパートに居候させていた友人である。

 エスは「世田谷」、Zは、この男のイニシャルをもじった暗号だが、まさに大阪府警は、この男をターゲットに異例ともいえる捜査体制を敷いているのだ。「Zは韓国の南東部の大都市・大邱の出身で、世田谷事件当時、29歳。

なぜ世田谷事件が警視庁ではなく大阪府警なのか、そして、なぜここまで実行犯に迫ることができたのかを簡単に記しておく。

2001年12月に大阪市北区兎我野町で起こった風俗嬢殺し、2002年1月に発生した大分県山香町の建設会社社長夫妻殺傷事件(通称"恩人殺し")で、世田谷事件捜査が急展開することになるのである。

 「風俗嬢殺しの犯人は、カネ目あての中国人二人組。ホテルに呼び出した風俗嬢を縛り上げ、刺し殺したのですが、府警は彼女を呼び出す時に使った風俗店の 着信記録から犯人の携帯電話を割り出すことに成功する。するとその携帯電話が翌月、大分県の山香可で、中国人や韓国人の留学生グループが起こした"恩人殺 し"の犯行現場近くで使用されていたことが分かったのです」(大阪府警幹部)

 中国人留学生の身元引受入になっていた地元の建設会社経営者が、その当の留学生たちに殺害されたこの事件は、"恩人殺し"として全国に衝撃を与えたが、この二つの事件で逮捕された19歳の中国人が、驚くべき供述を始めるのである。

 「大阪府警は携帯電話の発信地点を絞り込む捜査でこの19歳の中国人を逮捕したのですが、彼の口から風俗嬢殺しや恩人殺しだけでなく、なんと世田谷事件のことまで出てきたのです」とは、ある大阪府警の捜査官だ。

 「"東京へ行った友が、仕事をやっつけた"という表現で、彼は世田谷事件のことをしゃべり始めるのです。そして、実際にその人間たちの名前を挙げた。こ のグループは、何人かの司令者のもとに中国人や韓国人が入り乱れているのですが、彼が挙げたのは、4人の韓国人の名前だった。

そして、大阪の浪速区や都島区、東大阪市などに散らばっているアジトの場所も自供。そして、彼の供述通り、実際に浪速区恵美須西町の家賃8000円の安アパートのアジトから、世田谷事件の遺留指紋と一致する指紋が検出されたのです」
ピタリー致した指紋

 実は、韓国に戻っている形跡どころか、Zが韓国を出国し、日本に来た記録さえ正式にはないという。「つまり彼は日本に密入国しているんです。済州島経由 の密航船など、いろいろな可能性もあるが、どういう経路で入ってきたか今の段階では判然としないのです。しかし、現在も日本に彼は潜伏しているのではない か、とわれわれは思っています」(捜査官)

 「世田谷一家惨殺事件」ついに割り出された実行犯は「31歳の韓国人」だった!Texteamより



世田谷一家殺人事件~実行犯は今、次なる「超大物」ターゲットを狙っている 独自取材でたどり着いた驚愕の事実

現代ビジネス 12月30日(水)11時1分配信 


世田谷事件、本当の黒幕
 李仁恩が密かに来日している――という情報を耳にしたのは、15年9月初めのことだった。

 しかも、その半月後には、私の目の前に李がいた。と言っても、そこにあるのは高さ40センチほどの石塊であった。

 京都市の中心部から日本海方面に向けて車で2時間ほど行った山裾す佇む廃寺。その片隅にポツンと置かれた楕円形の石塊が、あの「李仁恩の墓」だと言われても、とても信じられない。

 * * *

 李は、私が世田谷事件の実行犯として捉え、このほど上梓した拙著『世田谷一家殺人事件 15年目の新事実』(KADOKAWA)で追及してきた男である。

 世田谷事件は2000年12月31日午前11時前、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員、宮澤みきおさん(当時44歳)宅で、みきおさんと妻泰子さん (同41歳)、長女で小学2年のにいなちゃん(同8歳)、長男で保育園児の礼君(同6歳)の4人が惨殺されているのが見つかった凶悪事件である。

 韓国マフィア元ボスの情報提供から独自取材した結果、私が突き止めた事件の筋書きは次の通りだ。

 都内に住む元宗教団体幹部、金田秀道(仮名)が事業失敗で多額の資金を必要として、宮澤家に隣接する都立祖師谷公園拡張に伴う移転補償金など1億数千万円を狙って犯行を計画した。

 そして、言葉の発達が遅かった礼君の発育支援と称して一家に近づき、自分に心酔する李に自分をよく知る家族四人を殺害させたうえ、現金や預金通帳、自分との繋がりが分かってしまう書類や年賀状などを物色させ、奪い取らせたーー。

 宮澤家周辺では当時、移転する家屋を安く買い上げ、転売を繰り返した末に東京都に高く売りつけて荒稼ぎしようとする不動産ブローカーや暴力団系地上げ業 者がいて、宮澤家を密かに見張ったり、内情を調べた形跡があった。彼らは宗教団体の不動産取引を通じて知り合った金田と結託し、宮澤家に土地売却を持ちか け、応じないと嫌がらせをしたり圧力を掛けていた。

 金田や不動産ブローカーの背後には“隠れオーナー”として投資顧問会社元代表Xがいた。私の追及に金田は「世田谷事件は私がやらせたことじゃない。本当の黒幕はXだ」と自白したのだ。


主犯への不信感から暗殺者の道へ
 「李は生まれつき頭が少し弱く、徴兵されて上官に苛められ、性格までおかしくなった」と、李の実家周辺の住民は語る。

 また、「偉そうな態度を取るが本当は小心者。犬を捕まえた時に『目が怖い』と言って犬の目をメッタ突きした挙げ句、鳴き声が嫌だと喉を掻き切って血塗れになった。弱いくせに一度キレると手が付けられなくなるんだ」(高校時代の友人)という。

 そんな“危ない不良少年”が、経済的に恵まれず心身に傷を負った若者を救済する活動を行っていた金田と知り合い、「寝る場所と温かい食事を提供し、私を救ってくれた命の恩人。彼のためなら何でもする」(李の証言)と心酔した。

 そして、米国の格闘技研修センターで護身術やテコンドーを習ったのを皮切りに、「傭兵学校」で本格的な戦闘・射撃訓練を受けるようになった。その李をはじめ支援してきた若者たちを、金田は自分の悪行に利用したのだ。

 世田谷事件翌日に李が羽田空港から台湾に出国したことは、出入国記録で分かっているが、その後は02年に再び台北を訪れるまで消息不明。一時期、米国・ ロサンゼルスや中国・上海に姿を現し、地元の政治家や宗教団体関係者と接触し武闘訓練を受けたとされるが、李の消息を追跡してきた韓国マフィア元ボスは、 こう見る。

 「世田谷事件で注目され事実上の軟禁状態が続く中で、本人は欲求不満が溜まり、自分の行動に疑問を感じ始めた。それを金田にぶつけても、『今は動くな』と言うばかりで納得できる回答はなく、やがて金田への不信感が生まれたのではないか」

 金田からの連絡が次第に少なくなり、米国やフィリピンの宗教団体関係者宅を転々とさせられたことで、李は「自分がやっかい者扱いされている」ことに気づ いた。そして、自ら兵士や暗殺者としての素質に目覚めたこともあって、韓国や米国の犯罪組織に接近し、その後はフィリピンの武装集団に身を投じた。

 そこで仕事上の駆け引きや暗殺の実践体験を積み、「1年余で10人以上はあの世に送ったほど凄腕の暗殺者にのし上がった」と、闇社会では噂されている。

 一方で、孤独感に苛まれた李は友人に「金田に裏切られた。絶対に許さない」と漏らし、師弟関係に軋みが生じ始めていた。

 「李は金田から『宮澤さん一家は教団の正義実現に仇なす敵』と聞かされ、それを倒すことが使命と教え込まれていた。彼の命令に絶対服従だった李は徹底的 に実行したが、後に周囲からカネ目当ての犯行だったと知らされ、心服していた分だけ怒りを爆発させたらしい」(前出の韓国マフィア元ボス)

 09年10月、李は別の筋から暗殺の仕事を請け負い極秘に来日。標的は奇しくも世田谷事件の黒幕とされたXで、それを確認するため、李は大阪市生野区のマンションで金田に詰め寄った。

 “命の危険”を感じた金田は昔の仲間に周りを囲ませ、「自分もXの指示に従い、利用されただけ」と主張、何とか切り抜けたと言っていた。

 だが、Xが病気で急死し李が国外逃亡したため、再び李に狙われることを恐れた金田は、すべてを放り出して大阪から逃走した。

 だが一度、死への恐怖心に取りつかれた人間に安住の地はなく、辛うじて知人のアパートに匿われたところに、私が訪れたのだ。



「私はヤツを見たんだ」
 目の前に現れたのは、魂がすっかり抜け落ちてしまったような一人の“見すぼらしい老人”であった。

 6年前に会った時も“命の危険”に怯え、すっかり白髪になっていたが、まだエリート紳士然とした容姿は残っていた。それが今は年齢はまだ還暦前のはずなのに、身体がさらに二回りほど小さくなり、何よりも全身に生きる気力が感じられなかった。

 15年12月5日夜。私は大阪市内のアパートで金田と会った。

 最初こそ、「もう話すことは何もないですよ」と虚勢を張っていた金田だが、李の話を始めると次第に顔面蒼白となり、「目の前にいつ、ヤツが現れるかと思うと、ドキドキ、ハラハラ、イライラして落ち着いてなどいられませんよ」と思わず本音を吐露した。

 私は金田の苛立ちを逆に突いて、厳しく追及した。

 以前に彼は、「知り合いの不動産ブローカーを通じてX氏から『宮澤さんとの土地取引の話をまとめたら、儲けたカネの15%を成功報酬として支払う』と持 ちかけられ、資金繰りに窮していたので飛びついた。だが、宮澤さん夫妻が拒否し、X氏から『宮澤家に脅しをかけろ』と指示され、李らに協力を要請した」と “自供”していた。

 ただ、肝心な点は言葉を濁しており、そこを追及したのだ。

 「あなたはXから『宮澤さん一家を殺せ』と言われたのか」

 私はX氏の具体的な指示内容を執拗に問いただした。なぜなら、いくら宮澤家が自分の要求通りに従わなかったといっても、黒幕のXが幼子まで殺害を命じるとは思えない。これは宮澤家と顔見知りだった金田の指示か、または李の暴走なのかを確かめたかった。

 全く答えない金田に、私は「李にどう釈明したんだ」と問うと、金田はブルッと体を震わせて、こう叫んだ。

 「私は見たんだ。李が私の様子を窺っているのを」

 「9月頃、かつていた都内の宗教団体の施設に、友人を訪ねて行ったら、そこにヤツがいた。私をじっと見ていた」

 「ずっと一緒にいたヤツだ。見間違う訳はない。臭いで分かる」

 自信満々に答える金田に、李がその頃すでに死亡していたとの情報があると伝えると、彼は絶句し、逃げるように部屋に入ったのだ。

 そして、彼はその翌朝には、着の身着のままで逃亡した。


ついに登場した大物元組長の名前
李の来日と死亡を知らせたのは新宿・歌舞伎町の金融コンサルタントで、昔は山口組系の企業舎弟として知られた瀬戸(仮名)だ。

 彼は6年前、李のX暗殺計画の阻止に動いた人物で、日韓の闇社会に独自の情報網を構築し、今回も李が5月頃に要人暗殺の仕事を請け負い、名前と顔形を変えパスポートを偽造し、指紋を変造テープで改竄して極秘入国したとの情報をいち早く入手していた。

 瀬戸らによれば、李は現在、どこの組織にも属さないフリーの暗殺者として活動し、一応、日本におけるマネジメントは関西在住の暴力団元組長の“懐刀”的存在だった人物が担当しているという。

 「彼が結成した組織のサポートを受けて李は日本国内で標的を狙ううちに急病に倒れ、その息がかかった関西の医療機関で治療を受けたが、回復しないまま死 亡したというんや。彼はカンボジアからバンコク、上海経由で“爆買い”の中国人に紛れて関西新空港から入国していた。すべての差配が元後藤組の面々なん や」

 前出の瀬戸はそう打ち明ける。

 だが、“李の墓”がある京都市郊外や関西の心当たりのある場所でいくら取材しても、李を治療し死亡診断書を発行した医療機関もなければ、彼を葬るのを手伝った葬儀社も、それらの書類を受け付けた役場も、変死事案を扱った警察も見つからなかった。

 そもそも極秘任務の話が流出し、墓まで用意されているのは、何か別の思惑があるように思えてならない。

 後藤組は静岡県富士宮市にあった元山口組直系組織で、後藤忠政組長は五代目時代に若頭補佐だった大幹部。1984年からの山一抗争で敵組長宅突撃を指揮した武闘派で、オウム真理教事件でも名前を取り沙汰された。一方で山口組東京進出の立役者でもある。

 後藤元組長は08年9月、65歳の誕生日を祝い地元でゴルフコンペとパーティーを開催。その席に招いた細川たかしら歌手5人が持ち歌を熱唱し、NHKが番組出演見合わせを決めたことから、後藤元組長は翌十月除籍処分を受け、組は解散させられた。

 「ボス(後藤元組長)は今、カンボジアで養鶏場や農園を営む“カタギ”。おかげで商売は流行っており、懐かしい顔を見ながら昔話をしたい人が多く、ボスの元は千客万来です」(元後藤組幹部)

 そんな中に山口組の井上邦雄・山健組組長や、九州で派手な抗争事件の末に、全国各地に一大勢力を築いた九州誠道会の後身・浪川睦会の浪川政浩会長の姿もあった。

新たな標的は……
この二人の名を聞けば、今年8月末の山口組分裂問題が浮かぶ。

 司忍(本名・篠田建市)六代目組長の出身母体・弘道会中心の執行部へのカネと権力の集中に反発し、山健組など老舗13団体約3000人の組員が離脱。新たに神戸山口組を設立し、組長に井上組長が就任、浪川会長は有力支援者の一人だ。

 山口組結成100周年、司組長就任10年の節目の年に、同じ山菱の代紋を掲げる組織がヤクザ界に二つ存在するという前代未聞、驚愕の事態が生じている。

 「実は、分裂の原点は08年のクーデター未遂事件にあるんや」

 大阪府警幹部は、そう明かす。

 それは、前出の後藤組長処分に異を唱え、執行部のカネと人事問題を批判してクーデターを起こそうとしたとされる直系組長十三人が、高山若頭に処分されたり引退に追い込まれた事件である。

 後藤元組長は首都圏の縄張りと利権の多くを弘道会系組織に奪われただけに、分裂問題の“陰の主役”と見る捜査関係者は多い。

 実際、公安当局は引退後の後藤元組長の動向をマークしている。カンボジアで後藤元組長を監視する公安関係者は言う。

 「後藤元組長の下には日本を追われた暴力団幹部や企業舎弟、半グレなどが出入り、闇社会の国際ネットワークの拠点になっている。華僑人脈を通じ中国人ヒットマンの派遣も担っているんだ」

 李はバンコクを拠点に活動していた時期があり、知人の暴力団関係者を通じて後藤元組長と知り合ったと見られている。

 「外国人暗殺者を調達するには今や、カンボジアは欠かせない拠点だ。別件で派遣要請した時、李の名前が出てきたことがあったな」。『餃子の王将』社長射殺事件で名前が浮上した関西の暗殺請負派遣業者は、そう明かす。

 「今回の来日はカンボジアが出発点やし、李に指示を出して日本に送り込んだんは後藤元組長周辺と見て、間違いないやろう」

 そう語るのは瀬戸。こうも言う。

 「そうなると、李の標的は司組長の可能性が非常に高くなったと言えるし、李の病死もおそらくカムフラージュに違いないわ」

 司組長を狙うなら、名古屋市の弘道会本部付近に潜伏場所がありそうだが、闇社会の情報網を駆使しても見つからない。出てくる目撃情報は東京周辺が多く、「標的を司組長から府中刑務所にいる高山若頭に変えた」との情報まで飛び出している。

 武蔵野市のマンションに、李らしい男が潜んでいるという瀬戸からの情報を元に12月7日未明、そこを訪ねた。

 部屋は留守らしく応答がなく、管理人を訪ねるとこう証言した。「部屋には初老の男が一人いて、時々帰ってきていた。たまに複数の男の人が出入りしていたが、静かで生活感がなかったです」

 この時、李の姿は確認できなかったが、彼の生存は確信した。怪しげな墓の情報が何よりの証拠と言っていいのかも知れない。

 李は生きている。そして、21世紀になって再び、彼は大きな事件を起こそうとしている。

 →第1回「事件を迷宮入りさせた警察の致命的失敗とマスコミの怠慢」はこちら

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一橋文哉(いちはし ふみや)
東京都生まれ。全国紙・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。本名など身元に関する個人情報はすべて非公開。95年「ドキュメント『かい人21面相』の正 体」(雑誌ジャーナリズム賞受賞)でデビュー。グリコ・森永事件、三億円強奪事件、宮﨑勤事件、オウム真理教事件など殺人・未解決事件や、闇社会がからん だ経済犯罪をテーマにしたノンフィクション作品を次々と発表している。



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