2017年3月11日土曜日

大きな地震や事件と私

阪神淡路大震災のときは、高校生で英単語の書き直しを20回ずつとか毎日させられていて、その日も居残りで書き直し
英語の先生はちょっと変わっていたので、地震があったことをノートに書いてきた
福岡だったので、全く揺れはなく、あまりテレビを見ないので、最初はわからなかった
担任の教師が、灘高の優秀な生徒が、勉強をしながら亡くなったという話をしてきた
だからあのとき、優秀な学生は亡くなってしまったのかもしれないなと思った


東京でサリン事件があったときは、地方に住んでいるから、なんのことだかさっぱりわからなかった
ヘッドギアは異様だと思った
大学進学で東京に住むようになると、サークルの先輩は、あのとき地下鉄に乗らなかったと、身近なことのように感じているようだった
池袋の東急ハンズで、岡山県の人が上京してきて、不特定多数を殺傷する事件があった
ふだんよく行く場所だったので、なんだかこわいなと思った
当時の池袋駅周辺ではキャッチ営業が多く、サークルの先輩は英会話教室(通称:魔法使い)、パソコン教室(通称:モモンガ)、私は化粧品+エステと、分割払いで契約させられることが多かった。20歳前後でカメラでとってもシミひとつない私に、鼻の毛穴くらいでよく成約させたものだなと思う。サンシャインビル周辺もそういうのがいっぱいだった。若いときは高いと思うのだが、年をとると、そうでもなくなるし、ふつうに思い出になり、悪く言わないものだ。行ってよかったと皆言う


秋葉原の歩行者天国でのトラック突っ込み事件では、すでに地方に住んでいたので、遠くのことのように感じていた。田舎者で人が多いときは苦手だったので、平日くらいしか秋葉原には行ったことがなかった。東京の平日で、地方の週末くらいの人間がいる

東日本大震災のときには、ますます田舎に住んでいた
ACのCMしかなかったし、映像は、どこかの倉庫で荷物が流れたという映像しか入ってこなかった
何年かたってからNHKで実際の映像を見るようになったが、当時は
「倉庫の荷物が流れました、宅急便は届きません」というような放送ばかりだったので、
福井県に注文していたペンキをキャンセルにしてもらうという、謎の行動をしていた
遠く=届かないかも!しかなかった

熊本の地震では、九州住みのものとしては、キャンセルが相次ぐなどの仕事上の不利益があった
人口が少ないことと、内陸部での地震だったため、被害にあわれて死傷されるひとは少なかった
高齢の方がお風呂で亡くなられたというニュースはあった
政府が直ちにふっこう割などのサービスをしてくれたおかげや、ふるさと納税のおかげもあって、経済的に助かったところは多いように思う
気象庁は、震度1の揺れにも注意喚起をするので、観光地では閑古鳥がないていた
震度1の揺れって、都会で言えば地下鉄が下を通ったくらいの振動だ
あとは、道路をトラックが走って、ガラスに衝撃音がするくらいの振動だ
震度3と言えば、「あ、なんか揺れたね」くらいだ

流石に震度6くらいになってくると、グルングルン・ゆさゆさ揺れるので、家電が壊れたり、壁紙を貼るボードに亀裂が入ったり、屋根瓦の端が落ちたりする。それでもガラスが割れるほどじゃない

ただ、地震があると家の補修を兼ねてリフォームしたり、ビルの外壁のチェックで足場を組むついでに塗装をしたりと、かえって街並みは美観を取り戻した
というのも、不景気が続きすぎて、地方まで潤わないから、どこもリニューアルしたりリフォームしたりしなかったのだ。それでもつぶれないで、地道に頑張ってきたところは、リスク回避を兼ねて建物のチェックをし、塗装をしたのだった。1年たって、皆忘れてしまったかもしれないけれど、地震直後は、地震後の対応をしたアパートでないと借り手がいないという不動産事情もあったのだ

分譲マンションの場合は修繕積立金を使用する機会になったのだと思う







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